野口哲哉は、鎧兜をモチーフに人間の内面や多様性を問いかける美術作家です。野口の活躍は国内外での展示会や海外ブランドのコラボなど多岐に渡り、見る人に感情を押し付けないニュートラルな作家は広い世代や国籍の人々に受け入れられています。

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野口哲哉は、鎧兜をモチーフに人間の内面や多様性を問いかける美術作家です。樹脂や化学繊維といった現代的な素材で製作された作品は、心地よい緊張感と温かなユーモアが交錯する鎧兜の新しい表現方法です。美術家としての野口の活躍は国内外での展示会や海外ブランドのコラボなど多岐に渡り、見る人に感情を押し付けないニュートラルな作家は広い世代や国籍の人々に受け入れられています。 本展では、野口の作品の中から代表作の立体や平面など約40点と、本展示のために製作した新作も併せて展示します。作品に込められた優しさと悲しさ、人間への好奇心にあふれた世界を紹介します。
目次
野口哲哉 展
”this is not a samurai”
2022 7.29−9.11

はじめに by 野口哲哉
この度は僕の展示This is not a samuraiにお越し頂き、まことにありがとうございます。[これはサムライではない]この奇妙な展示タイトルを最初に種明かしすると、これはルネマグリットの名作に登場する「This is not a pipe」(これはパイプではない)にインスパイヤを受けています。パイプが描かれているのに、これはパイプではない。マグリットは、見た人が考え、想いを巡らせる装置としての役割を作品に与えたかったと云われています。
美術は美しい哲学であり、探究であり、広大な思考の空間であるべきとの価値観です。 僕も人間や鎧兜を作りますが、そこには人の思考に対する興味や好奇心、生きる事や死ぬことに対する自分なりの思いを反映しています。 ローカルな事柄を通してもグローバルは理解可能です。きっと極東の鎧兜でも、世界や人間を理解する手掛かりになってくれると僕は強く信じています。 鎧兜やサムライに興味がある人もない人も、是非ご覧になって下さい。
最後に、この展示に関わってくれた全ての人に、心から感謝を申し上げます。 本当にありがとうございました。

野口哲哉
1980年、香川県高松市生まれ。2003年、広島市私立大学芸術学部油絵科卒業、05年同大学院終了。「鎧と人間」をモチーフに、樹脂やアクリル絵具を使って彫刻や絵画作品などを制作する。2016年、香川県文化芸術新人賞。主に個展に、「野口哲哉ー野口哲哉の武者分類図鑑ー」(練馬区立美術館、アサヒビール大山崎山荘美術館)、「中世より愛をこめて」(ポーラミュージアムアネックス)、「鎧ノ中デー富山編ー」(秋水美術館)、2021年から「THIS IS NOT SAMURAI」(高松市美術館、山口県立美術館、群馬県立館林美術館、刈谷市美術館)など。

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POLA MUSEUM ANNEX

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エレベーター

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入り口

this is not a samurai

其れを遥かに観て ただ瑠璃宝玉のようにありけるを 舞鶴のごとく游ばれ給い、兜と映合いて面白し、とて 此れを恋得させ給う。

月と太陽が互いを照らすように、喜びと悲しさの両方を僕は見つめて行きたいです。 ご観覧お疲れさまでした。

黒糸で威したる具足の上に、縹の地に白星並べたる大印を袖に打つなり。人びと此れをみて夏の雪星とて、敢えて向かい近づく者なし。




UBARTH
ひどく疲れてますねーー

デンマークの巨匠、アンネ・ヤコブセンにより考案されたエッグ・チェアーは人を包み込む卵の姿がイメージの源泉です。

UBARTH
正座じゃないんだ? エッグチェアーとマッチ



九州の郷土玩具「キジウマ」はかつて平家の落人が山中に逃れ、我が子の為に製作したという伝説が残っています。子供が乗れるサイズだったキジウマは時代と共に小型化し、まるで時間を旅してきたように、今も郷土玩具として人々の生活の中に溶け込んでいます。



進化の本質は、実は「下等な物が高等な物へ消化する」事ではなく、「状況に応じて柔軟に姿が変わる」事にあります。時代や環境によって様々に変化し続けた鎧兜は、人間が環境に順応するために進化させた外骨格の一種だと感じられます。

よく考えると、私たちは人生の大半を無表情で過ごしています。もっとよく考えると「喜・怒・哀・楽」はごく限定的に表れる感情で、人は悲しくも楽しくもないニュートラルな感情で毎日を暮らしている事に気が付きます。名前のない表情や、名前のない感情は、人という広大な器を満たす重要な要素だと、僕には感じられます。


ちょっと奇妙な言い方ですが、この鉄兜は樹脂で出来ています。僕の作品の多くは樹脂やアクリルといった素材で出来ていますが、それはある時に造形の本質は鉄や油絵の具といった素材ではなく、フォルムそのものに宿っているのではないか、と感じた事が起点になっています。

自分の作品には極まれに、実在の人物がモデルになった物があります。河津伊豆守は幕府使節団の一員としてフランスに渡り、ナポレオン3世に謁見した人物です。彼は日本から持参した甲冑を纏い現地の軍事訓練を見学し、「まるで東洋の絵画から抜け出してきたような雄姿」とナポレオン3世に賞賛されました。 河津は世界を見つめ、世界も河津を見つめました。使節団最年長で頭脳明晰、温和な人格者であったと伝わっています。

頭上でわめく兜と、それを見上げる若者の構図ですが、両者にスムーズな意思疎通が出来ているようには見えません。甲冑の観察によって分かるのですが相伝品である兜は着用者の大先輩にあたり、世代を経るごとに発言力が増してゆきます。両者の間に横たわるのは、無機物・有機物という成り立ちの違いではなく、世代間に生じる異なる価値観の衝突です。


シャネルと侍という組み合わせは一見悪い冗談のように見えて、実は観念化しがちのお互いのイメージを刷新し得る重要な可能性を秘めています。異なる文化の邂逅によって生まれる新たな価値観が、僕たちの知性と好奇心とを育んでくれると信じています。




風船と書いて「かざふね」と読みます。宙を舞いつつ風に乗る船の行き先は海を越えた遠い異国の地かもしれないし、まだ見ぬ未来の世界かもしれません。好奇心は風船に乗ってあてど無く彷徨い、武装した人々はそれを彼方へと見送ります。








人の夢と書いて「儚い」と読みます。固い鎧の中で見る夢は、まるで羊羹のように甘く、そして儚い。

まるで悪魔のような恐ろしいデザインの兜を破った男は、状況と自己意識のギャップを受け入れ難い様子で、文字通り鎧という殻の中に閉じこもっています。何かに追い詰められたら、きっと悪魔だって神に祈りたくなるはずです。

悲しみや怒りによっって感情が発露する時、人間はある意味で最もリアルな姿が現れます。ある侍の日記で、頭部の無い遺体を見つけて、鎧のデザインでそれが友人だと気が付き、号泣したという記述を読んだとき、鎧の中のとてつもなく大きな物を現代人が見落としている事に気が付きました。

プリズムの放つ輝きの中で、鎧姿の男が苦悩しています。個人が苦悩する事と世界が輝くことは基本的には別個の現象ですが、自分を悩ます世間は輝いてなんかいないと錯覚しがちなのが、人間の悲しいところです。苦悩を抱えた人生が鎧兜の中で儚く輝いています。あとついでに世界も輝いています。

ある人は家で眠り、ある人は道で眠り、またある人は戦場で眠ります。眠る顔はどんな人も平等に、無防備で美しいです。
21st Century Light Series〜The Tap〜
古くは原始の焚き火、中世ではロウソクの灯り、そして現代は電子機器、文明が生み出す光は夜の暗闇で人々の顔を照らしてきました。闇に灯るその小さな光を、僕は美しいと感じました。







Clumsy heart
手に持つオルビスの口紅でハートを描くこの作品は4年前のポーラアネックスでの展示の際に製作しました。かつて武将は辞世の句を柱に刻んで出陣したと云われますが、それ以上に言語の壁を超えられる記号を僕達は知っています。 前回、そして今回の展示の機会を頂いた、素晴らしいキュリエイターである松本さん、本当に有難うございます。




NYのメトロポリタン美術館、通称METに常設展示されている金箔岬の鎧兜は日本美術コーナーではお馴染みの存在です。METの来館者は年間で約700万人。世界第二位の来館者数です。期せずして極東のローカルとNYのグローバルを繋げる架け橋となったこの甲冑は、おそらく日本甲冑史上で最も多様な人種と対面した鎧、という事になります。


本日も最後までご愛読ありがとうございました。

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