PICASSO 青の時代を超えて 2022年度ピカソ展第2弾
パブロ・ピカソ(1881ー1973)は20歳の頃、悲しみを抱えた貧しい人々を見つめ、青の絵の具を用いて絵画にその姿を捉え、比類のない人間像を生み出しました。画家の原点…
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目次
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MODERN TIMES in PARIS 1925
ピカソとその時代モダン・タイムス・イン・パリ 1925機械時代のアートとデザイン
2023年12月16日~2024年5月19日
ごあいさつ
ポーラ美術館は、展覧会「モダン・タイムス・イン・パリ1925ー機会時代のアートとデザイン」を開催いたします。 1920年代、フランス首都パリをはじめとした欧米の都市では、第一次世界大戦からの復興によって工業化が進み、「機械時代(マシン・エイジ)と呼ばれる華やかでダイナミックな時代を迎えました。本展覧会は、1920ー1930年代のパリを中心に、ヨーロッパやアメリカ、日本における機械と人間との関係をめぐる様相を紹介します。特にパリ現代産業装飾芸術国際博覧会(アール・デゴ博)が開催された1925年は、変容する価値観の分水嶺となり、工業生産品と調和する幾何学的な「アール・デゴ」様式の流行が絶頂を迎えました。日本では1923年(大正12)に起きた関東大震災以降、東京を中心に急速に「モダン」な都市へと再構築が進むなど、世界は戦間期における繁栄と閉塞を経験し、機械や合理性をめぐる人々の価値観が変化していきました。コンピューターやインターネットが高度に発達し、AI(人工知能)が人々の生活を大きく変えようとする現代において、本展覧会は約100年前の機械と人間との様々な関係性を問いかけます。 2023年12月 公益財団法人ポーラ美術振興財団ポーラ美術館
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UBARTH
やってきましたポーラ美術館
いざ美術館へ!
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小田原駅から箱根登山道バスでポーラ美術館
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バス停
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美術館の前
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エントランスへ続く道
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お出迎え
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エントランス
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地下に続く
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お出迎え
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お出迎え
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入り口です
いよいよじゃぞぞい!
ご意見番
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CHAPTER 1 機械と人間 近代性のユートピア
第一次世界対戦は機械と人間との関係を大きく変えました。1918年に対戦が終結すると、それまで近代化の象徴であった蒸気機関車だけではなく、航空機や自動車などの新しい機械が普及し、機械を来るべき新時代の象徴として称揚する「機械時代(マシン・エイジ)」が到来しました。職人的な手工業の伝統が根強く残っていたフランスでも、1922年にはシトロエン社がアメリカの生産システムを参照してオートメーション化された自動車工場を設立するなど、産業の合理化が進んでいきます。戦禍による荒廃から復興を目指した国々は、前時代を乗り越えながら社会や経済を発展させていくために、機械に理想の未来を託したのです。 機械がもたらした動力やスピードは、フェルナン・レジェやロベール・ドローネーら美術家たちを刺激しました。戦争中に大砲の砲身に魅せられたレジェは機械部品のような人物を描き、ドローネーは航空機のプロペラや船のスクリューのような回転運動を思わせる絵画を描いています。 しかし、人々が便利さと豊かさを求めた機械時代とは、本当に理想的な未来だったのでしょうか。主人公が巨大な機械に文字通り飲み込まれてしまうチャールズ・チャップリンの映画「モダン・タイムス」(1936年)は、機械時代の人間像を冷笑的に描き出しています。20世紀初頭における機械の普及は、人々に利便性や経済的な豊かさをもたらしました。しかし、それは合理性と引き換えに人間性を見失い、機械に支配されるかもしれない不安を誘い出したのです。
フランスの航空機メーカー、ル・ローン社が開発した星型回転エンジン。機体にクランクシャフトを固定し、プロペラとともにエジソン自体が回転することで冷却効果を高めています。第一次世界大戦が終結した1918年までに、同社は約25,000基の星型エンジンを売り上げ、ライセンス契約によってドイツやイギリス、日本などでも約75,000基を生産するなど、当時最も普及したタイプの航空機エンジンでした。
彫刻家の祖父をもち、家具・宝飾デザイナーの父のもとにミラノで生まれたエットー・ブガッティ(1881-1947)は、早くから自動車産業に関心をもち、数々のグランプリ・レースで優勝した「タイプ35」など多くのレーシングカーを生み出しました。彼は機能面だけではなく、エンジンルームの内壁を研磨加工し、内燃機構を直方体の部品で構成するなど、視覚的な美しさも追求しました。この車種は「タイプ35」をベースに、エットーレが4歳の息子のために2分の1スケールで製作した電気自動車を製品化したものです。小型ながらも流線型のフォルムやアルミ製のホイールを備えています。
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CHAPTER 2 装う機械 アール・デコと博覧会の夢
1925年にパリ現代産業装飾芸術国際博物館(通称アール・デコ博)が開催されました。この博覧会を彩った幾何学的な造形の建築や工芸は、後にこの博覧会の名称から「アール・デコ」として、1920年代を代表するスタイルとして知られるようになります。このスタイルを牽引したのは、百貨店やファッション・ブランドなど、シーズン毎に移り変わる消費文化の担い手でした。大戦からの復興によって好景気に沸いた「狂騒の時代」という華やかな時代の中で、アール・デコとは芸術的な探究のもとに推し進められたものではなく、商業的な戦略のもとに発生した「流行」のようなものでした。 一方で「住宅とは住むための機械である」と語る建築家ル・コルビュジエは、アール・デゴと装飾芸術を否定しながらも、この博覧会にあえて装飾を排したパヴィリオン「エスプリ・ヌーヴォー館」を出展し、パリの街を自動車の走行や産業効率のために合理化された都市に改造する再開発計画を発表しています。 様々な要因が絡み合いながら、建築や室内、調度品を機械と調和させるために、人々は装飾のイメージを刷新し、自動車や鉄道、豪華客船という最先端の機械を幾何学的な造形で装飾しています。1925年の博覧会に現れたアール・デコという幾何学的な様式は、狂騒の20年代を生きた人々が新しい時代を目指して作り出した夢の造形ともいうべき文化だったのです。
複製と芸術
機械時代には、技術の発達によって、それまで複製物に過ぎなかった写真や映画、そして録音された音楽媒体が芸術作品として受け入れられるようになりました。トーマス・アルバ・エジソン(1847-1931)が1877年に音を記録して再生する装置を発明してから、多くのメーカーが改良を重ねて蓄音機は大衆に普及しました。映画フィルムの発明で知られるルイ・リュミエール(1847-1948)が発明したブリーツ状の振動紙をもつ蓄音機「H.M.V.ルミエール460卓上型」や、円筒形の缶に収納して携帯できる小型蓄音機「ミッキーフォン」など、多様な機種が登場しています。
ル・コンビュジェは、エスプリ・ヌーヴォー館など自身の設計した空間に、大量生産が可能で、かつ機能を損なうことのない家具としてトーネット社の曲木椅子を使用していました。1927年には、さらなる建築との一体感を目指して、家具デザイナーとしてシャルロット・ペリアン(1903-1999)を迎え、幾何学的な建築に合わせて上下に動く構造を持つ《バスキュラント》や、曲線部分が自由に動く《シェーズロング》など、量産可能なデザインでありながら、心地よく座るための機能が追求されています。
ルネ・ラリックの香水瓶と1925年の香水サロン
アール・デコ博の展示館のひとつは女性のファッション産業にあてられ、衣服、帽子、香水、装身具・宝飾品に分けて展示されました。博覧会の会場のひとつであるグラン・パレの中には、産業の分類「クラス23」として「フランスの香水サロン」が作られています。ラグネとマイヤールの装飾によるパヴィリオンの中に、香水メーカーやファッション・ブランドがそれぞれ自社の製品を展示し、香水がファッションと並んで、世界をリードするフランスの産業であることをアピールしています。
CHAPTER 3 役に立たない機械 ダダとシュルレアリズム
機械時代の急速な発展と近代化は、欧米の諸都市で、それに反発する芸術運動ダダを引き起こしました。
パリのダダを率いていたアンドレ・ブルトンは、精神分析学者ジグムント・フロイトの理論に影響を受け、意識下に眠る「無意識」に注目します。彼は偶然性によって無意識を表出させる「オートマティスム」という独自の概念を見出し、1924年には理性ではたどり着けない「超現実」を求める「シュルレアリスム宣言」を発表して新たな芸術活動を創始します。さらに1925年には機関誌『シュルレアリスム革命』に「シュルレアリスムと絵画」を発表し、視覚芸術における探究を本格的に始めます。この活動に、エルンストやマン・レイが参加し、シュルレアリスムは1920年代後半には大きな運動となっていきました。
彼らの活動の中でも、日常品や蚤の市で発見した品々を組み合わせた「オブジェ」は、シュルレアリスムにおける重要な概念でした。造形性を追求する伝統的な彫刻とは異なり、既に存在しているモノから機能を抜き取り、他のモノと組み合わせることで作者の内的なモデルを投影し、別の意味に置き換えていきます。第一次世界大戦以降の機械時代にあって、ダダとシュルレアリスムのオブジェは、機能を抜き取った「役に立たない機械」のようだと言えるでしょう。
CHAPTER 4 モダン都市東京役 アール・デコと機械びの受容と展開
ヨーロッパやアメリカに機械時代が到来し、アール・デコ様式が全盛を誇った1920年代から30年代には、多くの日本人がフランスやドイツへと渡りました。彼らが最新のデザインや芸術理論を持ち帰ったことで、日本では大正末期から昭和初期にかけてモダンなデザインや前衛的な芸術表現が開花していきます。
1923年(大正12)の関東大震災後、日本では1928年(昭和3)頃より大都市を中心に急速な近代化が進みます。コンクリートの建物や巨大な鉄橋、デパート、地下鉄などが彩る東京の姿を、アール・デコから影響を受けた明るい色彩と大胆な構図を駆使して体現したのが、日本のモダンデザインのパイオニア、杉浦非水です。1920年代前半のヨーロッパ遊学後、明快で力強いデザインで百貨店の雑誌や地下鉄のポスターを手掛け、新たな都市文化を象徴するデザイナーとして活躍しました。
その一方で、最新の科学や機械美に魅せられた中原實や河辺昌久、古賀春江といった異色の全英芸術家らが登場するのもこの時代です。機械美学や、機械文明がもたらした印刷や写真といった大量複製メディアが脚光を浴びたことで、瑛九のように印刷物の切り抜きを積極的に利用して作品を生み出す者も出てきました。河辺や古賀による、生身の人間と機械やロボットが混在する絵画世界には、新しい時代の高揚感だけでなく、その後の不況や社会不安を暗示するような不穏な空気がひそんでいます。
EPILOGUE 21世紀のモダン・タイムス
1959年に、ひとつの基盤の上に電子回路を集めた半導体集積回路(IC)が発明されると、機械の制御システムは電子化されて小型化し、歯車やゼンマイで動作をコントロールしていたアナログな「機械時代」は終わりを迎えます。1970年代にコンピューターが発達し、1995年にWindows95が登場すると、インターネットの普及とともに瞬く間にデジタル技術は産業や生活を変えました。半導体の登場以降現れたコンピューター、そして通信機器と一体化して普及したスマートフォンという機械は、21世紀を生きる我々の生活にもはや欠かすことのできないものとなっています。2023年以降、生成AI(人工知能)が爆発的に普及し、製造業やサービス業で活用され始めており、AIの知性が全人類の知性を超える「シンギュラリティ」(技術的特異点)が近い将来訪れるのではないかと囁かれています。今日、我々はコンピューターやスマートフォン、そして生成AIという機械に再び飲み込まれ始めてはいないでしょうか?
展覧会のエピローグでは、21世紀において機械に関するテーマを探求するムニール・ファトゥミ、空山基、ラファエル・ローゼンダールという3人の作家を紹介します。1920年代から約100年を経て、機械は今も期待と不安とを我々に与え続けています。この新たな機械時代に、人間は何を生み出すことができるのでしょうか?近い将来、生成AIによるアートが人間の創造性を超える日が来るかもしれません。AI時代のはじまりに、機械と人間との関係を改めて考えてみましょう。
空山
1978年から人体をロボットの造形に取り込んだイラストレーション「Sexy Robot」を制作してきた空山基は、二次元で表現していきたイメージをヒューマンスケールの立体作品としても制作しています。空山が影響を受けたというフラッツ・ラング監督の映画「メトロポリス」(1926年)では、労働者階級の女性マリアに似せて作り出されたアンドロイドのマリアが人々を扇動して未来都市メトロポリスを混乱に陥れ、最後は火あぶりに処せられます。この映画が描き出す高度に機械文明が発達した未来は、映画制作時から100年後となる2026年と設定されていました。この未来を目前に、空山はマジックミラーの箱の中に女性型のロボットを配した立体作品を通して、「人間の身体性を超えた未来」という、架空の物語を提示します。無限にひろがる宇宙を思わせる空間の中で、重力から解放された金属的なロボットの身体は、人類亡き後のポスト・ヒューマンの世界を見つめるように漂い続けています。
ラファエル・ローゼンダール
インターネットやデジタルの領域で活動を続けるローゼンダールが2010年に公開した作品は、ウェブサイトに埋め込んだ自動再生プログラムによって、閲覧者のクリック動作に合わせて画面が分割され、ブラウザ内に新たなイメージが無限に生み出されていくインタラクティヴな作品です。彼がインターネット上に公開した作品は、端末機器を通して、所有や距離という制約を超えて世界のあらゆる場所で閲覧することが可能であり、固定した枠や形を持たない流動的な存在となります。
デジタル技術の特性を活かした制作の一方で、彼は仮想空間と物理的な現実空間との境界線を問い直す試みを続けています。その中でも、表面に施された無数の凸レンズによって、鑑賞者の動きに応じてイメージが変化するレンチキュラーは、実体のある平面作品でありながら、まるでインタラクティヴなデジタル作品のように、変容するイメージの作品を実現する技法でした。高さ3メートルに及ぶ大型のレンチキュラー作品は、絶えず変化するイメージが鑑賞者の視野を包み込み、非物質的な空間へと眼差しを誘います。その流動的でイマーシヴなイメージは、作家が霧やガスにたとえるインターネットというヴァーチャルな空間の不確実さを示しているかのようです。
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本日も最後までご愛読ありがとうございました。
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