目次
BOTEROMAGIC IN FULL FORM
開催
【東京】2022年4月29日〜7月3日 Bunkamura ザ・ミュージアム 【名古屋】2022年7月16日〜9月25日 名古屋市美術館 【京都】2022年10月8日〜12月11日 京都市京セラ美術館
ごあいさつFOREWORD
コロンビア出身の美術家、フェルナンド・ボテロの生誕90年を記念して、「ボテロ展、ふくよかな魔法」を開催いたします。
1932年、南米コロンビアのメデジンで生まれたボテロは、20歳でヨーロッパに渡り、スペインやイタリアなどで古典作品から多くを吸収します。1956年には、ボリュームのある形態で対象を描くことを見出し、その後ボテロ特有の絵画様式が確立されていきました。1970年代から本格的に制作を開始したボリュームのある彫刻も有名です。あらゆる対象をふくよかに表現するボテロの作品は、観る者を惹きつけてやまず、世界各地で展覧会が開催されています。
本展は、ボテロ自らの監修のもと、貴重な初期作品から近年の作品まで、油彩、水彩、素描など70点を紹介します。国内における大規模な絵画展の開催は、実に26年ぶりです。ラテンアメリカの人びとの日常や信仰、サーカスなどを題材とした作品まで、ボテロのふくよかなかたち、鮮やかな色彩に触れ、その圧倒的な迫力を体感してください。
最後になりましたが、本展の開催にあたり貴重な作品のお貸しだし、並びに多大なご協力をいただきました、フェルナンド・ボテロ氏、リナ・ボテロ氏をはじめ、ご協賛、ご教授、ご協力を賜りました関係各位に厚くお礼申し上げます。 主催者
メッセージMESSAGE
このたび、日本で26年ぶりに私の展覧観が開催されることに大変光栄に思います。また、このような機会を作ってくださった主催者の皆様に感謝申し上げます。私の展覧会が日本で初めて開催されたのは1981年、その後、1986年と1995年にも2回の巡回展が行われました。今回再び、私の代表的な主題を扱った油彩作品を新しい世代の皆様にご覧いただけることをとても嬉しく思います。
芸術が普遍的な価値をもつためには、まず地域的、個別的な価値を持たなければならないーこれは私の持論ですー。画家として歩み始めた頃から、私は自分のルーツ、出自、そして故郷であるコロンビアのメデジンで過ごした子供時代の現実を、自分の創作活動の主題にしたいと考えてきました。私が描く日常は、記憶に刻まれた田舎の風景です。ただし、私はこの風景を写実的にではなく、ボリュームを強調した世界として描きます。そこでは、あらゆるものが同じ意図を意思をもって描かれます。つまり、ボリュームを表現することで、芸術的な美を表現することで目指しているのです。ボリュームと官能性に対する私のこだわりは、最も初期の作品にも見られ、例えば今回の展示にも含まれる水彩画《泣く女》は17歳の時の作品です。
ヨーロッパで長く絵画を学んだ私は、15世紀のイタリアの巨匠たちに魅了され、大きな影響を受けました。当時の経験は、絵画の技術を磨く助けとなっただけでなく、ボリューム感、官能性、デフォルメ表現に対する私の情熱を支える、ゆるぎない土台となりました。「バージョンズ」という連作は、私が敬愛する偉大な芸術家たちへのオマージュであり、名画に描かれた主題を私自身の作風で描き直すことにより、新鮮な魅力をたたえた、まったく新しい作品を生み出すことを目指しています。
近年は、巨大なカンヴァスに線画を描き、水彩で着色するという技法にも取り込んでいます。その結果、私が理想とする精密で、力強く、堂々とした線描に、透明感と流れるような動きを与えることができました。
芸術家の作風は、芸術に対する最大の貢献であると同時に、芸術家自身のアイデンティティでもあります。私の作風は、私の作品の代名詞であるだけでなく、私が後世に残す遺産でもあるのです。
今回の展覧会は、東京を皮切りに名古屋と京都を巡回します。私が心から尊敬する文化、美、美意識の持ち主である日本の皆様に作品をご覧いただける日を心待ちにしています。この場をお借りして、展覧会の実現にご尽力いただいたスポンサーの皆様並びに関係者の皆様に感謝申し上げます。
フェルナンド・ボテロ 2021年、モナコにて
序INTRODUCTION
「ボテロ展ふくよかな魔法」は、コロンビアのメデジンで1932年に生まれたこの世界的に重要なアーティストの90回目の誕生日を祝して開催される。ボテロの幼年期は、彼がまだ4歳の時、未亡人と3人の息子たちを遺して亡くなった父親の不在が大きく影を落とし、アンデス山脈の中の孤立した、その頃のいわゆる田舎町の只中での経済的収入源に極めて乏しい子供時代であった。しかしながら、幼い自分からボテロは、自らの運命は芸術家となることであると、疑う余地のないほど明確に認識していた。ボテロの最初の個展は、1951年にボゴタのレオ・マティス画廊で開催されたが、キャリアの最初から後に確たるものとする立場を切り開くことなった。 フェルナンド・ボテロはその特有の誰もが知る様式で知られている。ボテロにとって、アートにおける美と官能性はボリュームの高まりのうちにあるものだ。彼は、あらゆる物体が同じ身振りと同じ意図によって描かれているボリュームのある世界を創造している。すなわち形態の豊かさと記念碑性をもたらすのである。ボテロによればアートの主たる目的は喜びを生み出すことである。「偉大な絵画は人生に対し肯定的な態度を示している」と、このアーティストは指摘する。彼が提示しているのは、攻撃やスキャンダルを起こすことなどでは決してなく、型にはまらない詩的なリアリティ、美的愉悦、そして視覚的官能性なのである。喜びをもたらし、説明や媒体となるものを要することとなく鑑賞者に直ちにアプローチするその作品の力が、ボテロを世界的広がりのあるアーティストにしたのである。 本展では、ボテロ作品である使われてきた主要なテーマのいくつかを、最も代表的な絵画から選んだ70点を通して探究する。そしてそれは同時に、その驚くべき文化、美そして美学をボテロが大いに称賛し尊重している日本との、新たにして魅惑的な邂逅ともなるのである。 リナ・ボテロ(キュレーター)
❶章初期作品
”アートにおける真実は常に相対的である。大切なのはアーティストの信念なのだ。”フェルナンド・ボテロ
1949年、17歳の時に描いた《泣く女》と題する水彩画に見られるように、フェルナンド・ボテロのボリュームに対する関心はその初期の時代に遡る。この作品では、人物像の丸みやふくよかさといった傾向を、ほぼ直感的に認識することができる。1952年、母テロはコロンビアのサロン・ナシオナル・デ・アルティステス(国営芸術家展)でに東証を受賞し、賞金でヨーロッパに渡り、3年間そこで独学で学んだ。イタリアにおいて20歳の時、特に桑と江尾チェンと(1400年代)の芸術家たちによるイタリア絵画の偉大な名画や、批評家であるバーナード・ベレンソンやロベルト・ロンギといった当時の卓越した理論家たちの著述に出会ったことで、ボテロは、自らのボリュームへの情熱を理論化し、自分自身の作品の基盤を創出する上で欠いていた知的構成、理論的知識、そして歴史的パースペクティヴといったものを発展させることができた。以来、ボリューム、光、色彩、技法、構成そして形態といった、自らを捉えて離さないものに関する弛まぬ探究と実験が、ボテロの継続的展開の原動力となった。
❷章静物
”芸術家の様式というものは、最も単純な形の中にさえ、はっきり認識できるものであるべきだ”フェルナンド・ボテロ
静物画はボテロの作品に頻出する主題の一つだが、まさにこの主題を通じて彼の様式が生まれることになる。 1956年、ボテロはメキシコに移住した。メキシコは当時ラテンアメリカの若い芸術家たちのメッカとなっており、ボテロはそこで2年近く生活した。ある夜、アトリエで遅くまで制作していたボテロは、マンドリンの形を描いていた。ボディの丸い穴を描く際に、この穴をとても小さく描いてみたところ、マンドリンのふくよかな輪郭と、中央の妙に小さいディテールの対比によって、絵は突如として記念碑せいとデフォルメの絶大な効果を発揮するようになった。その瞬間、ボテロは自分の作品にとって重要なもの、これまでの飽くなき探究の有力な答えを見つけたと、はっきり理解したのである。おそらくこの発見こそが粉うことなき独自の様式と芸術言語を確立するにいたる、ボテロの歩みの出発点であり、絶え間ない実験、病むことのない熟考と自問の成果なのである。そこにはボテロの芸術的確信と、長年にわたって消化してきた教えを、斬新で非凡なものに一変させるボテロの才能があらわれている。
❸章信仰の世界
”私は、魔術的リアリズムを描いているのではない。私が描いているのは、ありそうにないことではあるが、あり得ないことではない。”フェルナンド・ボテロ
フェルナンド。ボテロの作品はすべて、彼の青年時代の記憶と何らかの形で結びついている。ボテロは、自分なりの視点と芸術理念を通して、その記憶を作品として表す。宗教的な主題に対する作家の関心は、聖職者の世界における形、色、衣装、私的な側面を造形意的に探究するためのただの口実に過ぎず、ユーモアと風刺によって、聖職者という存在の特質に迫ろうとしている。司教、修道女、司祭、枢機卿は、1930−40年代のメデジンの地域では非常に特権的な地位にあった。彼らの存在によって、ボテロの作品からは、もともと備わっている風刺やユーモアといた要素に加え、ある種のノスタルジーも溢れ出ることになる。こうして、彼の作品は、予想外で驚きに満ち、ありそうにないことが起きている、魔法のかかった世界となるのだ。ボテロ自身は敬虔な信者じゃないが、西洋絵画の伝統における宗教美術の重要な役割は理解でしている。自分の作品を絵画史の偉大な主題の伝統に根ざしたものにすることへの関心から、ボテロは、巨匠たちや植民地時代の絵画だけでなく、ラテンアメリカにおいて最も力を持つ組織の一つ、境界についても言及しているのだ。こうして《コロンビアの聖母》のように、宗教的な文脈から抜き出されたイメージは、この芸術家の様式を取り入れることで、ボテロ風想像世界を形作るもう一つの重要な要素となるのである。
❹−1章ラテンアメリカの世界
”アートが普遍的であるためには、まずローカルでなければならないと私は信じている。”フェルナンド・ボテロ
メキシコは、様々な意味でボテロ作品の重要なターニングポイントを象徴することとなった。23歳の時メキシコ芸術と出会ったことで、ボテロは、当時革新的とみなされていたこの国の芸術家たちによる作例を追いかけるようになる。また、自らのルーツ、生まれ、そして故郷であるコロンビアのメデジンで育った子供時代の記憶にまなざしを向けるようになり、この汲めども尽きせぬ世界を自作の中核となる主題、そして自らの創作の中心的テーマへと変容させていった。この頃からボテロは日常生活を、記憶の中に存在する登場人物たちとともに自らが覚えている通りに描くようになった。楽士たち、踊る人たち、修道女たち、兵士たち、聖職者たち、上流社会の婦人たち、権力者たち、そして売春婦たちでさえも、ボテロはそのプロポーションの戯れとボリュームに満ちた洋式により「ありそうにない詩」へと変容させていく。アーティスト本人の言葉によれば、「作品は、それが妥当性と誠意のあるものであるためには、深いルーツを伴った明確なアイデンティティを有していなければならない」のであり、それゆえ「アートが普遍的であるためには、まずローカルでなければならない」と断言もするのである。
❹−2章ドローイングと水彩
”描くということは驚くべき体験である。私は絵を描いているとき、存在することを止める。一日8時間立ったまま制作しても、疲れることは決してない。それはあたかも自分の身体を離れるかのようで恍惚とした気持ちになるのだ。”フェルナンド・ボテロ
ドローイングはボテロ作品の基礎をなしてきた。製図者として過ごした歳月により、ボテロは、水彩、サンギーヌ(赤褐色コンテ図)、木炭、鉛筆、パステル、ぼかし技法、墨のような多様な技法に真に習熟していくことができた。水彩による実験が最新のボテロの制作の極点だが、それはありがちな紙の上ではなく大型のカンヴァス上でなされ、彼がいつも見せてくれる力強さと多作によって特徴づけられる。その結果が2019年9月に開始された美しい作品のシリーズであり、ボテロのドローイングの力強さと水彩画の透明感や繊細さを宿すものとなっている。下地となる線描は青鉛筆によるものであるが、これによりボテロは、表面の清らかさに歩み寄ることなく自由で荒々しいストロークを維持するという大胆な制作ぶりを見せている。テーマはボテロ的想像世界を構成するものと同じだが、ドローイングという選択と線そのものから生じる形態の官能性が驚くべき結果をもたらしている。こうした結果が映し出しているのは、実験し疑問を投げかけ、自らの限界を作り替えていくことへの、この芸術家のたゆまざる専心なのである。
❺章サーカス
”絵画は、芸術のすばらしさについての考察から生まれる。”フェルナンド・ボテロ
ボテロは毎年、メキシコの太平洋岸のはずれの漁村、シワタネホで1ヶ月を過ごし、制作していた。2006年、いつものように滞在していたある日の午後、町をパレードし自分たちの興行を宣伝している小さなサーカスと出くわした。ボテロはそのつましさ、真正さ、そしてラテンの香りに驚嘆し、内に秘めた悲しみを反映しているような人物たちだけでなく、彼らの形や色が持つ市場や造形性にも魅了された。それは、青年時代にメデジンで見たサーカスの記憶も呼び起こすものだった。この出会いは、ピカソ、マティス、ルノワール、ドガ、ロートレック、レジェ、スーラ、シャガールら巨匠たちの作品によって高められてきた、大きな可能性を秘めたテーマへと、彼の想像力の扉を開いた。サーカスの情景の中の役者たちは、盛んに動いているにもかかわらず、ボテロ風の人物に備わっている穏やかで静かな特徴が反映され、ダイナミズムと静寂の間を揺れ動く逆説的な感覚を伝えている。空中ブランコ乗り、ピエロ、曲芸師が、色彩、悲哀、詩的な魅力に溢れたこの一連の作品での主人公となる。サーカスのイメージは観る者に多義的な反応を引き起こすが、それは、ボテロが「人生の困難を反映した喜び」の置き換えとしてどうしても現れてしまう笑顔に紐づけられた、哀れみの感情なのである。
❻章変容する名画
”芸術家の豊かさとは、その人生と仕事に痕跡を残した影響の融合からなる。”フェルナンド・ボテロ
1952年に初めてヨーロッパへ渡航して以来、フェルナンド・ボテロは、彼に影響を与え、彼の芸術家としての人生を豊かにしてきた美術史上の主要な芸術家、とりわけ、ベラスケス、ピエロ・デラ・フランチェスカ、ヤン・ファン・エイク、アングル、ルーベンスなどへ、数多くの作品による賛辞を贈っている。ボテロにとって、美術の世界への芸術家の最大の貢献は、まさにその洋式、すなわち同窓的で極めて個人的に自らを表現する方法である。「バージョンズ(翻案)」とされたシリーズの中で、ボテロは他の人が再現したテーマを自分のものとし、自身の洋式でまったく異なる芸術作品に変えている。ニューヨーク近代美術館の買上げとなった最初の絵画《12歳のモナリザ》は、特有の形態のふくよかさと人物の堂々とした記念碑性、そして当時の作品に特徴的な表現力に富む筆運びで描かれている、ベラスケスの「スペイン王女、マルガリータ・テレサ」のボテロ版のような、ほかの多くの作品でも起きている。曰く「芸術とは、同じことを述べていても、異なる方法で表す可能性である」とは、ボテロの強調するところである。
UBARTH
いやーー圧巻でした!!
ボテロ先生は90歳にも関わらずいまだにエネルギッシュな作品を描き続けているぞー
ご意見番
影響力半端なーい。ありがとうございました。
本日も最後までご愛読ありがとうございました。
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