90歳を超えても尚挑戦し続ける画家、ゲルハルト・リヒター。日本では16年ぶりの大規模な個展が東京・国立近代美術館で開催されました。彼が長らく手元に置いてきた初期作から近年の最重要作品《ビルケナウ》、最新のドローイングまでを含む、ゲルハルト・リヒター財団の所蔵作品を中心とする作品群によって、一貫しつつも多岐にわたる60年の画業を紐解きます。

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目次
Gerhard Richter (ゲルハルト・リヒター)展
東京国立近代美術館
2022年6月7日(火)~10月2日(日)

ごあいさつ
ドイツ・ドレスデン出身の画家ゲルハルト・リヒターは、新聞や雑誌の写真をぼやかしてキャンパスに描いた〈フォト・ペインティング〉や、色見本のような〈カラーチャート〉、色彩を何重にも重ねら〈アブストラクト・ペインティング〉など、絵画の可能性を問う作品で世界的な評価を得ています。
リヒターは油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐にわたる素材を用い、具象表現と抽象表現を行き来しながら、人がものを見て認識する原理自体を表すことに、一貫して取り組み続けてきました。ものを見るとは単に視覚の問題ではなく、芸術の歴史、ホロスコープなどを経験した20世紀ドイツの歴史、画家自身やその家族の記憶、そして私たちの固定概念や見ることへの欲望などが複雑に絡み合った営みであることを、彼が生み出した作品群を通じて、私たちは感じ取るでしょう。
リヒターが90歳を迎えた2022年に、日本では16年ぶりの大規模個展を開催します。今回の展覧会は、リヒター自らが会場の模型をつくり展示プランを構想するなど、企画者とともに意欲的に準備を進めてきました。彼が長らく手元に置いてきた初期作から近年の最重要作品《ビルケナウ》、最新のドローイングまでを含む、ゲルハルト・リヒター財団の所蔵作品を中心とする作品群によって、一貫しつつも多岐にわたる60年の画業を紐解きます。
最後になりましたが、展覧会開催にあたり、貴重な作品をご出品くださいましたゲルハルト・リヒター氏とゲルハルト・リヒター財団およびゲルハルト・リヒター・アーカイブ、ご尽力を賜リましたワコウ・ワークス・オブ・アート、ならびにご協力、ご支援を賜りました各関係機関、関係者のみなさまに、心より御礼申し上げます。
主催者
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いざ美術館へ!
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東京メトロ東西線「竹橋駅」 1b出口より徒歩3分

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皇居に向けて歩くと・・

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5分で東京国立近代美術館

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エントランス

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いらっしゃいませ! 入り口にお土産屋?

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チケット買って入口です!

1章 フォト・ペインティング
1950年代末、すでに東ドイツで壁画家として活動していたリヒターは、自由に惹かれて西ドイツに移ります。デュッセルドルフ芸術アカデミーでふたたび学生になったものの、自由であること自体、そして作家の主体的な意思や作為自体に疑念を抱きます。そこで彼が頼りにしたのは新聞や雑誌に載っている写真や家族などを撮影した写真で、それをできるだけ正確にうつしとるようにキャンバスに描き始めました。カメラを介したイメージは全て等価で、構図も構成も画家が判断しなくて済む、すなわち主体的な判断を回避しつつ、書くことが可能だったからです。リヒターは写真の隷属するように絵画を描くことから画家としてのキャリアをやり直したのでした。しかしそうした迂回を経ることによって、逆説的に描くべき対象をどのように選ぶかで重要になっていくのです。

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2章 グレイ・ペインティング
1960年代後半、キャンパスを灰色の絵具で塗り込めるグレイ・ペインティングと呼ばれるシリーズが登場します。同じ灰色の階調で描かれるフォト・ペインティングの「ボケ」を最大化したようでもありますし、色彩を混ぜ合わせていけば、いずれは灰色になるという意味では、還元的な手つきも認められます。リヒターは灰色について「無を示すのに最適」と語りますが、その画面に絵の具を載せる方法には筆だったり、ローラーだったりと豊かなバリエーションがあります。そこでは塗ることそのものが、あるいは塗る行為の形跡を見ることが何を生み出しえるかが検証されているのです。このシリーズはやがて〈アブトラクト・ペインティング〉へとつながっていきます。



3章 アブストラクト・ペインティング
〈アブストラクト・ペインティング〉は、1970年代後半にパレットにたまたま載っていた絵の具の写真や自作の一部分の写真を、〈フォト・ペインティング〉と同じように拡大して描くことから始めました。やがて「スキージ」と呼ばれる自作の大きく長細いヘラを用いて、キャンバス上で絵画を引きずるように伸ばしたり、削り取ったりすることで独自の絵画を生み出すようになります。 リヒターがこれらの作品を「アブストラクト・ペインティング」とあえて名づけていることも重要です。それは文字通り、「抽象的に」「描く」ことについて、あるいは「抽象的な」「図像」とは如何なるものかと思考するための作品群と言えるかもしれません。リヒターはそうしたイメージが、この現実とは別の、異なるものどうしが活発に同居するような世界を指し示していると語っています。


![Gerhard Richter ゲルハルト・リヒター展 アブストラクト・ペインティング[C R945-2] 2016 112×70 油彩、キャンパス](https://ubarth2030.com/wp-content/uploads/2022/11/スクリーンショット-2022-11-05-15.47.55.jpg)
![Gerhard Richter ゲルハルト・リヒター展 アブストラクト・ペインティング[C R946-1] 2016 200×250 油彩、キャンパス](https://ubarth2030.com/wp-content/uploads/2022/11/スクリーンショット-2022-11-06-11.48.34.jpg)




![Gerhard Richter ゲルハルト・リヒター展 アブストラクト・ペインティング[C R949-2] 2017 120×85 油彩、キャンパス](https://ubarth2030.com/wp-content/uploads/2022/11/スクリーンショット-2022-11-06-11.56.21.jpg)
![Gerhard Richter ゲルハルト・リヒター展 アブストラクト・ペインティング[CR949-3] 2017 120×85 油彩、キャンパス](https://ubarth2030.com/wp-content/uploads/2022/11/スクリーンショット-2022-11-06-12.00.13.jpg)
![Gerhard Richter ゲルハルト・リヒター展 アブストラクト・ペインティング[C R952-3] 2017 200×200 油彩、キャンパス](https://ubarth2030.com/wp-content/uploads/2022/11/スクリーンショット-2022-11-06-11.48.15.jpg)
![Gerhard Richter ゲルハルト・リヒター展 3月[CR803] 1994 250×200 油彩、キャンパス](https://ubarth2030.com/wp-content/uploads/2022/11/スクリーンショット-2022-11-06-11.50.12.jpg)









4章 頭蓋骨、花、風景
リヒターはときおり、頭蓋骨や花を描いた静物画や山並みや海を描いた風景画といった、古典的な主題を取り上げます。頭蓋骨や花は、西洋絵画の伝統に置いては「メメント・モリ」や「ヴァニタス」といった生の儚さへと連想を誘う主題です(花という主題は美の問題にも関わっているでしょう)。山々や森を描いた風景画は、19世紀ドイツのロマン主義絵画にとりわけ好まれたものです。リヒターはこうしたともすれば時代遅れの、非今日的な主題に大して「あこがれ」があると語ります。すでに失われてしまった過去の世界の在り方は、いまだに私たちを構成する一部であり、こうした主題には現代の価値を転覆させるような力がある、と。 リヒターが〈アブストラクト・ペインティング〉の製作の合間に、これらの主題を描いているという事実も興味深いものです。





5章 肖像画
妻のサビーネを撮影した写真に基づく《水浴者(小)》と《トルソ》の2点は、きわめて身近なモデルでありながら、どこか匿名の人物のように扱われていて、見るひとの欲望を掻き立てる古典的なヌードとも、親密な肖像画とも違っています。リヒターがかつてポルノ写真とアウシュヴィッツ強制収容所の裸体の写真を並べる展示を構想していた事実が示すように、彼の作品においてヌードは常に両義的です。画家の子供たちを描いた《モーリッツ》と《エラ》では、前者は繰り返し手を入れることで、後者はあからさまな刷毛目によって、成長し変化する子供の姿と絵画のイメージとが重ねられているかのようです。これら画家の近親者を描いた「肖像画」からは、画家の、そして同時に私たちの、イメージに対する心理的な距離感や見ることにまつわる意味の重なりが浮かび上がります。




6章 アラジン
2010年から制作され始めた、一種のガラス絵とも言えるシリーズです。何色かのラッカー塗料を板の上に載せ、ヘラや筆でかき混ぜ、塗料の動きに任せた後、ガラス板を上から載せて軽く圧すと、ラッカー塗料がガラス面に転写されます。この作品のイメージは塗料そのものでありながら、私たちが見る作品の表面は完全に平滑で、物質的な重みを感じさせません。その他のシリーズと同様に、色の選択、かき混ぜの度合いといった作家の主観的な意図と、塗料という事物が生み出す偶然がせめぎ合ってイメージが生まれます。そのイメージは幻想的かつ想像を誘うようなところがあるため、リヒターは「アラジン」といった物語を喚起させるタイトルをつけました。
7章 ストリップ
〈ストリップ〉は、2011年から始められたデジタルプリントのシリーズです。作品によって色調は異なりますが、すべて1990年に制作された、ある一枚の《アブストラクト・ペインティング》に由来します。この絵画をスキャンしたデジタル画像を縦に2等分しつづけ、幅0.3ミリほどの細い色の帯をつくります。その帯を鏡うつしにコピーして横方向につなげていくと、単なる色の線の集積としての横縞へと還元されます。戦後の抽象絵画と思わせる非構成的、かつオールオーヴァーな画面ですが、絵画的なラクスチャーを見出すことはできません。絵画と写真とのあいだでイメージを生み出しつづけてきたリヒターが80歳を目前に試したシリーズです。


8章 カラーチャートと公共空間
東ドイツで壁画制作を職業としていたためか、リヒターにとって公共空間でイメージがどのように機能しうるかはつねに重要な課題でした。1990年代末にドイツ統一を記念する新しい連邦議会議事堂への巨大作品を、2000年代にケルン大聖堂のステンドグラスのデザインを依頼されると、リヒターは試行錯誤の末にかつて集中的に手がけたカラーチャートのシリーズを取り上げました。本展ではニュートラルな美術館の展示室に置かれていますが、こうした作品が国家や宗教を象徴する公共空間に設置するために製作されたという背景を想像してみると、リヒターの選択がまた興味深く見えてくるでしょう。

7章 ビルケナウ
《ビルケナウ》は4点からなる絵画作品です。これら絵画の下層にはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で密かに撮られた4枚の写真イメージが描かれています。しかし黒と白、ところどころ赤と緑の絵画を用いて塗り込められた絵画面からは、写真イメージの痕跡を見出すことはできません。スキー時によって鳴らされたためあ、微細な傷がつきつつも光沢のある表面は、鉛、もしくはなめされた皮のような質感を思わせます。私たちはこの作品の名前と、絵画の下層に描かれているイメージの複製写真を手がかりに、抽象的な絵の具の壁を超えて、これら見えないイメージ、抑圧された出来事を想像するように迫られます。その点で、滲み出るかのように画面に点在する赤と緑の色彩は極めて示唆的です。 ✳︎この展示室内に展示されている、強制収容所の内部を撮影した記念写真の複製には、暴力的な表現が含まれています。ご理解の上ご鑑賞ください。(撮影禁止)





8章 ドローイング
今回展示される作品のように、断片的な線や面を画面全体に配し、画面のすみに日付を描き込む現在のスタイルを確立したのは1980年代に入ってからのことでした。グラファイトや顔料をこすりつけたり、消しゴムを使って線や面を抹消したりする描法は、リヒターが絵画に置いてスキージやスクレーパーを用いることと並行すると指摘されています。またリヒターの作品においては、フリーハンドの震えるような線描のみならず、製図のような直線、円、細やかな陰影など観察できます。作者の無意識や恣意性、素材の特性が生み出す偶発性をこれらの制作における重要な条件としつつ、それらに完全に任せることもありません。この絶妙な匙加減が得意なイメージを生み出しています。



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本日も最後までご愛読ありがとうございました。
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