目次
ARTIZON MUSEUM
石橋財団コレクション選
印象派ー画家たちの友情物語展ー
ごあいさつ
この度「石橋財団コレクション選 印象派ー画家たちの友情物語」展を開催いたします。当館の所蔵する印象派の作品40点と芸術家の肖像写真14点を紹介します。
アーティゾン美術館は、印象派の絵画をコレクションの中心の一つに据えてきました。近年の収集によりさらに充実した印象派の作品を、友情物語という新たな切り口でご覧いただけます。
印象派といえば、モネやルノワールといった名前が浮かぶでしょう。画塾などで知り合った仲間たちが、自分たちの作品を展示する場を求めて開催したのが、いわゆる「印象派展」です。19世紀フランスで活動した印象派の画家たちは、互いに親しく交流していました。例えばセザンヌは、若い頃ピサロとカンヴァスを並べて制作しており、父のように慕っていました。また、ルノワールは、カイユボットの遺言執行人として奔走しました。
本展は、友情関係や師弟関係、夫婦関係などを含む画家たちの交流を”友情物語”とし「マネ×モリゾ×ゴンザレス」「ドガ×カサット」「ピサロ×セザンヌ」「カイユボット×ルノワール」「ゴッホ×ゴーガン」「ブラックモン夫妻」 「モネ×シスレー×シニャック」の7つの物語で構成いたします。あまり知られることのなかった画家同士の人間関係を手がかりに、印象派の名画をお楽しみいただけます。
2011年10月 公益財団法人石橋財団 館長 石橋
印象派とは
カミーユ・ピサロ(1830-1903)、エドガー・ドガ(1834-1917)、アルフレッド・シスレー(1839-1899)、ポール・セザンヌ(1839-1906)、クロード・モネ(1840-1926)、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)らは、1874年に第一回印象派展を開催し、移り行く自然を大胆な筆使いで描いた風景画や、同世代の人々の生活を題材とした風俗画などを発表しました。
ギュスターヴ・カイユボット(1848-1894)の経済支援もあり、グループ展は全8回開催されます。ベルト・モリゾ(1841-1895)、メアリー・カサット(1844-1926)、マリー・ブラックモン(1840-1916)などの女流画家を含め、50人以上が出品しました。8回全てに参加したのはピサロのみ。印象派に大きな影響を与えたエドゥアール・マネ(1832-1883)は、一度も参加しませんでした。マネの弟子のエヴァ・ゴンザレス(1849-1883)も同じです。
印象派の活動は1870年代が中心です。1880年代には、印象派を乗り越えようとする動きもあらわれます。「新印象派」のポール・シニャック(1863-1935)は、印象派の技法を科学的に捉え直しました。「ポスト印象派」と呼ばれるセザンヌやフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)、ポール・ゴーガン(1848-1903)は、形態や色彩に注目して、独自の様式を確立します。
マリ×モリゾ×ゴンザレス
革新的な作品を制作するエドゥアール・マネ(1832-1883)は、印象派の画家たちの尊敬する対象でした。1868年にマネと出会ったベルト・モリゾ(1841-1895)は、マネの作品のモデルを多くつとめました。マネとモリゾは師弟関係というよりも、お互いに影響を与え合った関係でした。モリゾは1874年にマネの弟ウジェール・マネと結婚しました。正式にマネの弟子になったのはエヴァ・ゴンザレス(1849-1883)ひとりだけです。彼女が弟子になったのは1869年のこと。師のマネと同様、ゴンザレスも印象派展には一度も参加しませんでしたが、印象派の画家たちと同じように大胆な筆使いで描いています。
UBARTH
これも印象派?
近くで見ると画家の筆跡がよくわかるぞい
ご意見番
UBARTH
それ以前の画風とは違い何かいいですね。
UBARTH
これいい雰囲気の絵ですね
ドガ×カサット
エドガー・ドガ(1834-1917)は、踊り子を描いたことで知られる印象派の画家です。アメリカ出身のメアリー・カサット(1844-1926)は、アメリカ出身のメアリー・カサット(1844-1926)は、パリで画家として活動していました。1874年のサロンに入選したカサットの絵画を見たドガは、その作品を賞賛しました。翌1875年、今度はカサットがパリの画廊で見かけたドガのパステル画に衝撃を受けました。1877年にドガはカサットのアトリエを訪ね、印象派展への参加を勧めました。二人の友情は生涯続きましたが、ドガの死後、カサットはドガからもらった手紙をすべて燃やしてしまいました。そのため残念ながら、二人の間で交わされた会話を知ることはできません。
ピサロ×セザンヌ
カミーユ・ピサロ(1830-1903)とポール・セザンヌ(1839-1906)が初めて会ったは1861年、パリのが塾アカデミー・シュイスにおいてでした。二人はルーヴシエンヌやポントワーズなどを旅して風景画を描きました。1872年にセザンヌは、パリ北西のポントワーズに住むピザロをたずねています。セザンヌはピサロを通じてモネ、ルノワールといった印象派の画家たちと交流しました。温厚の性格のピサロは、セザンヌにとって「師」であり、父のように慕う大切な友人でもありました。1882年頃にはふたりの関心は異なる方向を向くようになりましたが、晩年になってもセザンヌは「ピサロの弟子」を自称していました。
カイボット×ルノワール
UBARTH
可愛い・・
そこ? 拡大してみると筆使い、色使い方法がよくわかるね
ご意見番
ゴッホ×ゴーガン
オランダ出身のフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、1886年にパリに出てきて2年間過ごします。オランダでは暗い色を使っていたゴッホですが、パリで印象派の絵画にふれて色鮮やかな作風に変わっていきます。パリは画家仲間の出会いの場でもありました。1887年、ゴッホは友人たちとともに展覧会を開催しました。その会場にポール・ゴーガン(1848-1903)が訪れたことが、二人の出会うきっかけでした。ゴッホとゴーガンは1888年に南仏アルルで約2ヶ月の共同生活を送ります。最終的には破綻を迎えてしまいましたが、このアルルでの共同生活のあいだ、二人はともに制作し、ときには激しい議論を重ねながら刺激を与え合いました。
ブラックモン夫妻
モネ×シスレー×シニャック
クロード・モネ(1840-1926)とアルフレッド・シスレー(1839-1899)は、1860年代にパリのシャルル・グレールの画塾で出会いました。二人は一緒に郊外に出かけて戸外で制作して、新しい絵画の表現を模索しました。ともに風景画家として活動しましたが、モネが各地を旅行したのに対して、シスレーはパリ近郊にとどまりました。ポール・シャニック(1863-1935)は、1880年、16歳の時にモネの個展を見て感銘を受けて、画家になる決意をしました。その4年後、深夜あっくは全く面識のないモネに手紙を送り、絵画制作のアドバイスを求めます。この求めに応じて、モネは23歳年下のシャニックと会う機会を設けました。
印象派の画家、作品について勉強になりました。
本日も最後までご愛読ありがとうございました。
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