ゴッホの”ひまわり”は好き?
ファン・ゴッホの代表作のひとつ。1888年2月、ファン・ゴッホは南フランスのアルルに向けてパリを出発する。彼はそこで画家仲間との共同生活を計画し、指導者として敬愛する画家ポール・ゴーギャンを招待した。《ひまわり》はゴーギャンの到着を待ちながら、その部屋を飾るために描かれたものである。当館が収蔵する《ひまわり》は、この8月に描かれた1点目の「黄色い背景のひまわり」(ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵)をもとに、実際にファン・ゴッホがゴーギャンと共同生活を送っていた1888年11月下旬から12月上旬頃に描かれたと考えられている。基本的な色や構図はロンドンにある作品と同じだが、タッチや色調は異なっており、ファン・ゴッホが単なる複製を描くのではなく、考察を重ねながら本作に取り組んだことがうかがえる。
イスラエル展の概要
フィンセント・ファン・ゴッホ
オランダの牧師の家に生まれる。27歳で画家になる決意を固め、亡くなるまでの10年間に、素描も含め、2000点以上の作品を手がける。農民の生活を主題にした初期の作品から、印象派や新印象派の影響を受けたパリ時代の作品を経て、大胆な筆致と強烈な色彩という独自のスタイルを確立するに至る。ゴーギャン、セザンヌとならぶポスト印象派を代表する画家に位置づけられ、表現主義やフォーヴィスムなど、20世紀の芸術に大きな影響をあたえた。
ゴッホの”ひまわり”は何枚ある?
ゴッホはいっぱい描いているよう考えていましたが、
実際には7枚です。
7枚についてまとめると下表になります。
作品1 | 1888年8月 | 1888年8月にゴッホが初めて制作した「ひまわり」。アメリカ個人蔵 |
作品2 | 1888年8月 | 1920年に山本顧彌太という実業家が2億円もの価格で購入。1945年にアメリカの空襲を受けて焼失。 |
作品3 | 1888年8月 | ドイツのミュンヘンにあるノイエ・ピナコテークという美術館で保管 |
作品4 | 1888年8月 | ロンドンのナショナル・ギャラリーに保管 |
作品5 | 1888年12月 | 東京のSOMPO美術館で保管。1987年のバブル期に58億円で落札した話は有名。 |
作品6 | 1889年1月 | 作品3のひまわりを模写して描いたもの。現在はアメリカのフィラデルフィア美術館で保管 |
作品7 | 1889年1月 | 作品6とほぼ同時期に制作。ゴッホが描いた最後のひまわり。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館で保管 |
白樺派美術館の設立を考えていた武者小路実篤の依頼によって、実業家の山本顧彌太が購入し、1945年のアメリカ軍の空襲によって焼失したファン・ゴッホのひまわりの絵画を、何という?⇨芦屋のひまわり
ひまわり7枚について
作品1
1888年8月にゴッホが初めて制作した「ひまわり」。
ひまわりは3本で色もオレンジとバックに水色を使用し、
補色によるコントラストを試験的に試した作品。
現在はアメリカの個人蔵に保管されている。
私たちが知っている生命力あふれる
ひまわりの作品とはだいぶ印象が違いますね。
作品2
2番目のひまわりの作品。
白樺派美術館の設立を考えていた武者小路実篤の依頼
によって、実業家の山本顧彌太が
1920年にスイスで2億円で購入。
残念ながら1945年のアメリカ軍の空襲によって焼失した。
山田氏が兵庫の芦屋の実業家だったこともあり
『芦屋のひまわり』とも言われている。
背景も暗く、明るいゴッホのひまわりのとは全く違いますね。
作品3
この作品はドイツのミュンヘンにあるノイエ・ピナコテーク美術館で保管。
これまでの作品の中で最も多い12本のひまわりが描かれています。
咲き方が異なるのは、それぞれのひまわりの品種が違うため。
さらに3作目では、1作品目と同じような作品のコントラスト、補色にも注目。
ゴッホのサインが記入された花瓶も描かれています。
作品4
作品3の「12本のひまわり」をモチーフに描かれたものです。
7作品の中でも最も有名な《ひまわり》。
現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに保管。
この作品はゴーギャンも絶賛し、譲って欲しいと頼みましが、
ゴッホ自身も非常にお気に入りの作品のため、
自分で大切に保管していたそうです。
ゴーギャンはこのひまわりを制作しているゴッホの姿を
肖像画として残した。
作品5
1888年12月に起きた「耳切り事件」直前に描かれた作品。
その後、疎遠となったゴーギャンに向けて描いたという説も。
この作品が東京のSOMPO美術館で保管されています。
1987年、当時の美術館の代表取締役の後藤康男氏が
集客するために58億円という価格で購入。
当時は偽物だとの噂もあったが、調査によりゴッホ直筆と
証明された。
作品6
6作品目は1889年1月に描かれ、5作品目と同じように15本の
ひまわりが描かれている。
4作品目のように鮮やかな黄色で描かれており、ひまわりの生命力
を感じることができる。
「耳切り事件」のあとに入院していたゴッホが、退院後に制作。
ゴッホの象徴ともいえる黄色が前面に描かれている。
作品7
《ひまわり》シリーズでは最後の作品である7作品目のひまわり。
ひまわりの数は12本で作品3を模写したと言われている。
ゴッホはひまわりシリーズで捕食を研究していたと
言われ、黄色と水色のコントラストを効果的に
使っている。
現在はアメリカのフィラデルフィア美術館で保管。
ゴッホひまわりの集大成とも言われる作品。
ゴーギャンについて
ゴーギャンはゴッホにとって南仏アルルの黄色い家で共同生活を行なった画家友達だが、その出会いと別れが
その後の作品と人生に大きな影響を与えた。
フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴーギャンはポスト印象派の代表的な画家で、彼の作品は強いメッセージ性を持っていることが特徴。目に見えるものしか描けないゴッホと違い、ゴーギャンは目に見えるものをそのまま描くのではなく、それらを描くことで目には見えない内面や、理念、思想といったものを表現しようと試みた。
ゴーギャンは商船での水先案内人、海軍、株式仲買人などを経て35歳から画家となる。タヒチでの製作活動で描くものをイメージの象徴としてとらえ、平面的に表現する新たな画法を確立する。晩年の作品に傑作が多い。
ゴーギャンがひまわりを描くゴッホを描いている貴重な作品だが、ゴッホは自分の耳の描き方が
気にならなかったようで、ゴーギャンを猛烈に批判した挙げ句、その後、自分の耳を切ってしまう
きっかけになった作品と言われている。
アルルの黄色い家
SAMPO美術館までの道のり
SAMPO美術館のひまわり
1888年2月、パリから南仏のアルルに移ったゴッホは、その年の8月、ゴーギャンの
到着を待ちながら《ひまわり》の連作に取り組み始めた。
ゴーギャンの部屋を『ひまわりの花』で飾ろうとしたのである。
ゴッホは7点の『壺に生けたひまわり』を描いたが、
この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する《ひまわり》
をもとに描いたと考えられている。
ロンドンのものと比べると全体の色や筆使いに違いがみられ、
ゴッホが《ひまわり》の連作を通じて色彩や明度、タッチの研究を行ったと
考えられる。
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