高台にある神戸の街を一望できる見晴らしの良い神社です。
須佐之男命、大国主命、大歳御祖命、椎根津彦命を配祀としています。
ここから、保久良神社について学んでいきましょう!
保久良神社(神戸)
1.保久良神社の歴史
保久良神社は本山町北畑の山麓に鎮座し、祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、椎根津彦命(しいねつひこのみこと)である。 創設は不詳であるが、『延喜式』に載る古社で、付近からは弥生時代の土器や石器、銅戈(どうか)が出土している。また社殿周辺の神生岩、三交岩など巨石が本殿を中心として、環状に人為的配置がされていることから、盤座信仰がうかがえる。祭神もはじめは、椎根津彦命を祀っていた。伝説では、神武天皇東征のおり、瀬戸内海の実権を握っていた一族の漁夫が、九州からこの付近の海路を案内し、その功によってシイの木で作ったカジと椎根津彦の名を賜ったと言われている。『続日本紀』によると、椎根津彦命の子孫が、先祖を追慕し、祖人として賜ったのが創祀(そうし)ともいわれる。
御祭神
- 「須佐之男命(スサノオノミコト)」
- 「大国主命(オオクニヌシノミコト)」
- 「大歳御祖命(オオトシミオヤノミコト)」
- 「椎根津彦命(シイネツヒコノミコト)」
「須佐之男命(スサノオノミコト)」
天照大神の弟神で伊弉諾尊から海原を治めるよう言われるが根の国へ行きたいと断り、伊弉冉尊の怒りをかい追放される。根の国へ向かう前に高天原(たかまがはら)で滞在するが、次々と粗暴を行い、高天原を追放される。出雲の鳥髪山へ降った須佐之男命は、その地を荒らしていた巨大な怪物八岐大蛇(やまたのおろち)への生贄にされそうになっていた少女櫛名田比売(くしなだひめ)と出会う。櫛名田比売の姿形を歯の多い櫛に変えて髪に挿し、八岐大蛇の尾から出てきた草那芸之大刀(くさなぎのたち)を天照大神に献上し、それが古代天皇の権威たる三種の神器の一つとなる。その後、櫛から元に戻した櫛名田比売を妻として、出雲の根之堅洲国にある須賀の地(島根県安来市)へと行き留まった。
大国主命(おおくにぬしのみこと)
国津神の代表的な神だが、天孫降臨で天津神に国土を献上したことから、「国譲りの神」とも呼ばれる。すさのおのの後にすくなびこなと協力して天下を納め、まじない、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させる。だが、高天原からの使者に国譲りを要請され、幽冥界の主、幽事の主宰者となった。国譲りの際に「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を建ててほしいと条件を出したことに天津神が約束したことにより、このときの名を杵築大神ともいう。大国主を扱った話として、因幡の白兎の話、根の国訪問の話、ヌナカワヒメの妻の問いの話が『古事記』に、国作り、国譲り等の神話が『古事記』・『日本書紀』に記載されている。
「椎根津彦命(シイネツヒコノミコト)」
神武天皇が東征において速吸門で出会った国津神で、船路の先導者となる。その後、神武天皇に献策し兄磯城を挟み撃ちにより破る。椎根津彦命は保久良神社の南に位置する神戸市東灘区の青木(おうぎ)の浜に青亀(おうぎ)の背にのって浜に漂着したという伝承があり、それが青木(おうぎ)の地名の由来となる。
常夜灯
社前にある常夜灯は、古来から「灘の一つ灯」として、沖をいく船の夜の目印とされてきた。伝説では日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲(九州)遠征から帰る途中、大阪湾で夜になって航路がわからなくなり神に祈ったところ、北の山上に一つの灯が見えた。それを頼りに船を進めたところ、無事に難波に帰ることができたという。「灘の一つ灯」として、航海する人の標識となってきたことがこうした伝承を生んだのだろう。現在は、文政八年(一八二五)六月に県立された石灯籠が立っている。昔は北畑の天王講の人々が毎晩一晩分の油を注ぎ点火してきたが、現在は電気で点灯している。
磐座(いわくら)
「ほくら」の境内には、大きな岩がたくさんあります。この岩は、「立岩(たていわ)といわれ、神様に祈るために人々が起こした祈願石の一つです。 社務所の裏の大きな岩は「神生石(かみなりいわ)」と呼ばれております。 神社の建物の裏の岩群を中心に境内にかけ、大きな円形状に大岩が配置されております。このように配置された岩群は、「磐座(いわくら)と呼ばれ「磐境」ともいわれます。 昔の人は、大きな岩に常世の国より神様をお招きして、農業生産、諸業繁栄、村里安全を祈願いたしました。 このように古代人等が祈願した神聖な場所ですから、現代では「古代祭祀遺跡地」と呼ばれ、祈る時に使用された「つぼ・かめ・さら」などの土器破片や「やじり・おの」の石器も多数出土しております。それらは「弥生式」の中期の時代のものとされ、紀元前二百年前頃より、この「ほくら」では、古代人が神様を祭祀(さいし)していた一つの「証拠」であります。 また、ほくらの「磐座」は昔大和の国、現奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社の背後の三輪山頂にある「磐座」と同じ時期のものといわれております。
保久良神社には、敷地内外に巨石が点在しています。
主たる祭日
1月1日 | 歳旦祭 |
1月20日 | 大俵祭 |
5月4日 | 例祭 |
5月5日 | 神幸式 |
7月14日 | 名越祭 |
2. 椎根津彦命(シイネツヒコノミコト)の御事蹟
摂津国莵原群の統治を委任された「命(みこと)」は、多くの村里が良く見渡せる場と、海から昇る日輪(太陽)が遥拝(ようはい)できる場を兼ね合わせた処を、海上から眺め探し求められ、最適な場所として「ほくら山」を向けられ青亀を麓の真下の海岸に着けられました。 「この由緒から、青亀(あおき)が着いた岸部・青木の地名が起こる」 早速、青木→南田邊→北畑を経て山を目指して登られました。山頂から、眼下に広がる海、対岸の山々、東西に広がる村里を眺められ「命」の心に適合した場所であり、祭祀する場として清めた後、東から昇る日輪を遥拝し、大岩を並べ「磐座」とし「祖先神」(須佐之男命・大歳御祖命・大国主命)を祭祀して「農業生産・諸産業繁栄・村里安全」を一族の人々と共に祈願されました。 「社名由来の一=「ホ」は「ヒ」(神霊)を集めた場(倉)から」 そして一族の人々共に、生活改善向上の策として、日々・常時「火種」の供給の場をおこし定められ、多くの人々に「火力」の普及保持を勧め、土器生産を通じ農業発展を奨励する一方、海上交通の安全を図るため、社頭に「かがり火」を焚き、航行安穏を祈ると同時に、文物の流通の道を開拓されました。 「社名由来の二=「火種を保持する庫・倉」=「火倉」となる」 「灘の一つ火」の起源=社頭のかがり火が始まり」 火力の補給を通じ、「農業」を促進、海上交通安全から文物流通等、活気溢れるる村里の繁栄に尽くされました。 丁度その頃、天っ神の御子(神武天皇)が九州「日向」の国より東・大和に向かうことを聞かれ、青亀に乗り、和田の浦にて釣りをしながら、速水の門(明石海峡)にて待機、「私は国っ神、名は珍彦(宇豆彦)と名乗り、「皇船(みふね)の先導者とならん」と申され、椎槁(しいさお)を通して船中に入り、神武天皇と対面、「椎根津彦」の称号を賜り、海導者として浪花に上陸、河内・大和等転戦、苦労の中に献策を建てられました。後、大和建国の第一の功労者として、神武天皇即位二年「汝、皇船に迎え、導きて、績を香具山の巓に表せり。困りて、倭国造を賜る」(古事記・日本書紀・旧事本紀) また、倭宿袮として天皇の近くにあり、大和建国・安寧に貢献されました。 その後、信濃・越後の国の開発に尽力される等の後、倭国造の要職を子孫に譲り、「命」は故郷「莵原の都」に帰り、弟猾(おとうかし)と共に郷土の育成・発展に尽くされました。 今も昔も変わることなく、毎朝日の出を拝み「磐座」に神々の神恩を感謝し祈りを捧げつつ、代々の祖先から継承されてきたこの聖地を護持し、敬神愛山の道を次世代に向け大切に守り育てていきたいものです。
2. カタカムナについて
日本に存在したとされる超古代文明「カタカムナ」。
カタカムナを発表した楢崎皐月(ならざきこうげつ)氏がカタカムナ文献に出会ったとされるのが金鳥山だと言われていますが、その金鳥山にあるのが保久良神社なのです。
昭和24年、この神社が鎮座する金鳥山で、楢崎皐月がカタカムナ神社の平十字という老人からカタカムナという文献を見せられている。 そのカタカムナ文献は、幾何学的な円と直線からなる図象文字で書かれており、楢崎は、満州で交流していた蘆有三(ラウサン)導士から聞かされたアシア族の八鏡化美津文字(ハッキョウカミツモジ)ではないかと考え、これを翻訳することに成功した。 楢崎皐月の解読によってこのカタカムナ文献は高度な文明を築いた古代人の宇宙観を、詩歌という形で書いた科学書であることがわかったのである。楢崎は、これをもとに、相似象学と呼ばれる独自の学問を展開している。 それは、原子転換、正反重畳状態の原則、不確定性原理、極限飽和定律、風景工学、医療法、農法など驚愕な内容である。 詳しくは、いろんな本や情報があるのでググって見てください。
2. 参拝
住所
〒658-0005 兵庫県神戸市東灘区本山町北畑680
電話・FAX
電話:078-411-5135
アクセス
阪急電鉄神戸本線岡本駅下車、東北1km
JR東海道線摂津本山下車、東北1.3k
バス、タクシーなどで近くまで行けません。歩くしかありません。。
近所の方も健康もかねてウォーキングしている姿を多くお見かけしました。
参拝しましょう!
日が落ちる前につきたかったので岡本駅からタクシーを使いました。
近くまで行けないので登り口で降ろされ、そこからは自分の足腰を信じて登り切るじゃ!
急な勾配を歩くのできつい。途中ベンチもあるので休憩
励ましの看板もあり、もう一踏ん張り!
やっと見えました!
ここだーー!
神戸市街を見渡せる絶景のロケーション
保久良神社(ほくらじんじゃ) 保久良神社(ほくらじんじゃ)
この顔を見ていると疲れた心が癒されます。
かわいいーのー
精巧に作られている龍の手水舎です
アメノミナカヌシは、宇宙根源の原始神
どうぞお詣りください。
主祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)と春日大神(かすがだいじん)。
春日大神とは、神道の神様です。
どうぞ、お詣りください。
帰りもみなさんお出迎え!
ありがとうございました。
また来いよ〜と言われいるみたい
アットホームな雰囲気の神社じゃったのう
本日も最後までご愛読ありがとうございました。
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