東京展は終了。でも全国巡回決定!次は大分の皆さんと会えるよ!
プロフィール
庵野秀明
監督・プロデューサー
1960年5月22日生まれ。山口県出身。高校、大学での自主映画制作を経て、アニメーターとして『超時空要塞マクロス』(1982年)や『風の谷のナウシカ』(1984年)、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)などに参加。『トップをねらえ!』(1988年)で初監督を務めた後、『ふしぎの海のナディア』(1990年)や『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)と話題作を続けて監督した。2006年に株式会社カラーを設立し、代表取締役に就任。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ及び『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2007~2021年)では企画、原作、脚本、総監督、エグゼクティブ・プロデューサーを務めている。2016年には『シン・ゴジラ』の脚本・総監督を務めた。2017年、特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)を設立し、理事長に就任。現在、脚本・監督を務める『シン・仮面ライダー』を鋭意制作中。
見どころ
総監督を務めた最新作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が興行収入100億円を超える大ヒットとなった庵野秀明。本展は、アニメーター時代に参加した過去作品や、監督、プロデューサーとして活躍する最新の仕事までを網羅し、創作活動の秘密に迫る。自身の原点となった「アニメ」「特撮」作品の貴重な原画やミニチュアなどをはじめ、アマチュア時代から現在までの直筆の膨大なメモやイラスト、独自の映像作りに欠かせない脚本、設定、イメージスケッチ、画コンテ、レイアウト、原画からミニチュアセットに至るまで多彩な制作資料を余すところなく展示する世界初の展覧会。
過去 :庵野秀明の原点と彼がリスペクトするもの
『ウルトラマン』や『仮面ライダー』、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』など、庵野秀明が幼少期から敬愛する漫画、アニメ、特撮作品にまつわる貴重な資料を一挙展示。さらに、縦3m×横15mの巨大LEDスクリーンを駆使し、庵野が敬愛する映像作品を振り返ることで、「庵野秀明をつくったもの」を体感していく。
現在 :アマチュア時代から現在に至るまでの軌跡をたどる
無名だったアマチュア時代から、一世を風靡した『新世紀エヴァンゲリオン』、そして興業収入100億円を超える記録となった『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に至るまでを紹介。庵野秀明が何を考え、つくってきたのか、数十年に及ぶ創作活動を門外不出の関連資料で辿り、映像制作にかける情熱と試行錯誤の過程を紐解いていく。
未来: 未来へ継承するためのアーカイブ
「僕らがいなくなってもアニメや特撮が残るようにしたい」という思いで庵野秀明が立ち上げたATAC(特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構)をはじめ、未来へ向けた継承のためのプロジェクトを紹介。そして、『シン・ゴジラ』、『シン・ウルトラマン』、『シン・仮面ライダー』の大型立像など、最新の仕事も紹介する。
いざっ新国立美術館へ!
庵野秀明が生まれた1960年は、高度経済成長を背景に、テレビのカラー放送が始まった年でもある。カラーテレビの普及とともに、『ウルトラマン』(1966年)、『仮面ライダー』(1971年)、さらに『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)や『機動戦士ガンダム』(1979年)など、現在もシリーズの製作が続く名作が数多く生み出された。
当時、子供向けテレビ番組は子供達の共通体験であり、アニメや特撮は「テレビまんが」と呼称され、子供たちは分け隔てなくそれらを享受していた。庵野少年もそのような時代状況の中、黎明期の「テレビまんが」を見て成長した。春・夏休みの子供向けプログラム映画やテレビ放映されていた東映や東宝の特撮映画、戦争映画など、多岐にわたる映画作品や漫画などから受けた衝撃と感動を忘れないことが、今も庵野を創作へと動かす原動力の一つとなっている。
本章では、庵野が幼少期から大学時代まで傾倒し、現在も敬愛が続いているアニメ、特撮、漫画作品の面白さが別角度からも伝わればと、立体造形物や原画をはじめ製作資料や関連資料などを展示する。
これらが言わば庵野の創作作業の原点であり、庵野の感性をつくったものである。
宇宙戦艦ヤマト
機動戦士ガンダム
第二章
夢中、或いは我慢
CHAPTER 2 Obsessions: Obstinate Pursuit
絵を描くことが好きな庵野氏は、高校2年生の時に8ミリフィルム機材を購入し、以降はアニメや特撮の自主製作フィルムづくりに没頭していく。特に、大阪芸術大学在籍時に参加した第20回日本SF大会(通称:DAICONⅢ)のオープニングアニメーション(1981)と、実写特撮映画『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』(1983)の2作品は、アマチュア離れしたクオリティーで、マニアの間で話題を呼び今尚語り継がれている。また、大阪在住時代にはSF専門店の商品イラストのアルバイトなどで生計の一部を支えていた。
庵野氏は、メカニックの緻密な描写や、爆発や煙などのエフェクト作画が自主制作時代から突出しており、『超時空要塞マクロス』(1982)へのアニメーターとしての参加を機に、プロの世界に一歩を踏み出す。その後上京し『風の谷のナウシカ』(1984)に参加。企画当初から制作に参加した劇場アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987)ではメカニック作画を担当し、評判を呼ぶ。オリジナル・ビデオ・アニメーション『トップをねらえ!』(1988)から監督を務め、初のテレビシリーズ『ふしぎの海のナディア』(1990)、そして『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)で、社会現象を巻き起こす。
ご愛読ありがとうございました。
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