岡田美術館で開催中の『The Sanurai ーサムライと美の世界ー』展に行ってきました。
このパンフに魅せられ行きたい!と思い立ちました。
岡田美術館は初めて!ワクワクドキドキ。
侮るなかれ!非常に多くの素晴らしい作品が陳列されておるのじゃ
アクセスには少し難儀しても、訪れて良かったと思う美術館の一つ。
是非、一度自分の目で須玉の展示物をご確認くだされ!
岡田美術館
岡田美術館は、平成25(2013)年10月に、国際的な観光地箱根の小涌園にオープンしました。
5階建ての建物の正面に、俵屋宗達の風神雷神図を創造的に拡大模写した大壁画(福井江太郎「風・刻」)
を飾る壮麗な美術館は、すでに箱根の名物として親しまれるようになりました。
岡田美術館の成り立ち
岡田美術館へのアクセス
岡田美術館の紹介
俵屋宗達の風神雷神図を創造的に拡大模写した壮大な大壁画(福井江太郎「風・刻」)に出会うことができます。
素敵なオブジェの向こうに月が・・
なんと!足湯があります。
SAMURAI展
岡田美術館で開催中のSAMURAI展。
皆さんサムライにどのようなイメージを持っているでしょうか?
海外の人にはSAMURAIというとかっこいい印象、
日本の歴史の授業で馴染みのあるのは『武士』で、職業的な表現になります。
今回のSUMURAI展では、時代ごとに生きていたヒーロー達に出会うことができます。
岡田美術館のある箱根の土地は歴史と深い関わりのある場所であることも
感情移入しやすくなっています。
また、とても時系列や人物について分かりやすくまとめられていますので
歴史が苦手な私でも、基本から時間を費やして一から学ぶのに最適な展示会でした。
学ぶって素晴らしい! 自分が新しくアップデートできたことを実感できました。
ありがとうございました。
第1室 屏風絵ー武家に仕えた流派
屏風は中国が発祥の地。後に日本に伝わり発展して行った。日本書紀に記録が残っているが、最古の作品は奈良時代の
正倉院に残っている。
室町時代は水墨や極彩色を施した屏風や、煌びやかな金を用いた金屏風が製作され、日常や儀礼用の調度品として
使用されることが多かったが、後に海外(中国、朝鮮、ヨーロッパ)への贈り物として外交上で重要な役割を
果たしていった。
平安や鎌倉時代の古い屏風は、1〜2扇ごとの作品だったのに対し、室町時代以降は屏風が大きな作品として、
まるでその場に居るような世界観を表すようになっていった。
狩野派
春夏花鳥図屏風
- 狩野派
- 8曲1双
- 桃山時代(16世紀)
☆上図が右、下図が左
これは見事な狩野派の代表的な屏風
タイトルにあるように鳥をはじめ生き物が生き生きと描かれている
松に鷹図屏風(一部)
- 曾我直庵
- 6曲1双
- 桃山時代(16〜17世紀)
八景図屏風(一部)
- 曾我直庵
- 6曲1双
- 桃山時代(16〜17世紀)
第2室 伝説のヒーローたち
足柄山図 冷泉為恭筆
- 江戸時代後期
- 116.4×40.3cm
御三年の役に出向く武将なエピソードを描いています。
笙という楽器を吹く武士が源義光、聞いている方が豊原時秋という公家です。
真鶴乃浜 前田青邨筆
- 昭和44年(1969年)
- 77.4×103.0cm
1180年伊豆で挙兵した頼朝は、石橋山の戦に敗れ、箱根山中に隠れたのち、主従7名で神奈川から千葉まで落ち延びました。
のちに鎌倉幕府を開く頼朝の苦難のときを、数え年85歳の青邨が自在な筆致で鮮やかに描いた優品です。
平家物語図屏風(一部)
松本楓湖筆
- 6曲1双
- 江戸時代前期(17世紀)
平家物語図屏風(一部)
松本楓湖筆
- 6曲1双
- 江戸時代前期(17世紀)
平家一門の栄華と没落を筋とする『平家物語』全12巻の各巻から一場面ずつを選び、6曲1双の大画面に描いた屏風です。
堀河夜討図 葛飾北斎筆
- 江戸時代後期
- 106×37.2cm
書かれている人物は上から、義経、静御前、弁慶。構図含めかっこいいよね。
源頼朝、義経は周囲の讒言により、不仲に。兄の頼朝が義経邸に刺客を送り、義経はこれを騒がず撃退しました。
第3室 戦の世と泰平の世
堀江物語絵巻断簡(一部)
岩佐又兵衛筆
- 江戸時代前期
- 33.4×141.5cm
下野国塩郡の領主・堀江左衛門頼方の息子月若が、成長して父の仇を打つ『堀江物語』の一場面に当たります。
岩佐又兵衛は織田信長の家臣であった荒木村重の子として生まれ、京都、福井、江戸で活躍しました。
舜王・娥高・女英図(一部)
狩野探幽筆
- 江戸時代 寛文5年(1665年)
- 157.8×68.8cm
静かに琴をつまびくのは中国古代の理想的な帝王舜。二人の女性
(もう一人描かれているが)は先帝堯の娘姉妹で、ともに舜王の妻となった娥皇、女英とされています。
鳳凰が桐の方へ舞い降り、聖人の善政と太平の世を象徴しています。
狩野探幽は京都生まれで、祖父永徳の再来と言われるほど画技に秀で、16歳で徳川幕府の御用絵師として江戸時代絵画の基礎を築きました。
第4室 武家の画家たち
彩竹図
柳沢淇園筆
- 江戸時代中期 18世紀
- 94.4×25.7cm
月に秋草図屏風 (一部)
酒井抱一筆
- 江戸時代 文政8年(1825年)
- 165.7×251.6cm
調布の玉川図
酒井抱一筆
- 江戸時代 天明8年(1785年)
- 71.0×27.8cm
山雨一酒図
浦上玉堂図筆
- 江戸時代 19世紀
- 111.5×59.0cm
岡山の備中鴨方藩(2万5000石)に藩士として生まれたが、50歳で二人の息子と脱藩。琴を弾き、漢詩を読み、文人画にも独自の画境を開いた。日本文化を愛したドイツ人ブルーノ・タウトは、玉堂を「近代日本の生んだ最大の天才」と称え、ヴィンセント・ゴッホに似ていると高く評価。
◉重要文化財
虫魚帖
渡辺崋山筆
- 江戸時代 天保12年(1841年)
- 27.0×24/0cm
◉重要文化財
虫魚帖
渡辺崋山筆
- 江戸時代 天保12年(1841年)
- 27.0×24/0cm
三河国(愛知県)の田原藩士で、小さな藩(1万2000石)でしたが最後には家老にまで出世しました。儒学の他に蘭学も修める学者、思想家であり、文人画も善くしました。幕府外交への批判書を著したことが発覚し、自害しました。
この画帖は、全部で12図あり、漢詩と対になっています。一見、虫や魚を描いただけの写生画に見えますが、弱肉強食を寓意する憂国の思想画とも解釈されています。
幕末の日本は、ロシアや英米などの欧米列強に虎視眈々と狙われている弱小国だと、崋山は必死に案じていたのでした。
天僊図
椿 椿山筆
- 江戸時代 嘉永5年(1852年)
- 157.3×82.6cm
孔雀図
岡本秋騤泉為恭筆
- 江戸時代後期
- 116.4×40.3cm
岡田美術館所蔵
雲龍・善財童子図
狩野秀頼筆
- 室町時代末期〜桃山時代初期
- 94.8×45.0cm
深川の雪
喜多川歌麿
- 享和2年×文化3年(1802〜1806年頃)
汐くみ
上村松園筆
- 昭和16年(1941年)
- 145.5×50.5cm
花卉雄鶏図
伊藤若冲筆
- 江戸時代中期 18世紀中頃
- 109.9×49.2cm
白磁緑彩龍文鉢
景徳鎮窯
- 明時代 (1506−21)
- 高9.0cm、口径19.9cm、底径8.0cm
黄地青花龍唐草文盤
景徳鎮窯
- 明時代 (1522−66)
- 高11.6cm、口径79.8cm、底径53.2cm
色絵竹虎文大皿
備前・有田窯
- 江戸時代 17世紀中期
- 高120.0cm、口径46.7cm、底径18.8cm
饕餮文方罍
- 殷時代後期 紀元前14〜11世紀
- 通高55.8cm、口径16.6×15.6cm、底径12.8×12.8cm
蟠地文大鼎
- 春秋時代後期 紀元前6〜5世紀
- 高48.0cm、口径54.7cm
如何だったでしょうか?
岡田美術館は相当の数の歴史的及び芸術的価値の高い美術品が所蔵されています。
また、次の企画展が開催された暁には訪れたいと考えています。
本当にありがとうございました。
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