ブルターニュの光と風
画家たちを魅了したフランス〈辺境の地〉
はじめに
ブルターニュの絵画史は、古典的な表現様式を一掃し、主題に対する新たな意識が生まれた19世紀の芸術運動の歴史そのものです。1830年代から現代に至るまで、何世代にもわたる芸術家たちが広大なブルターニュ半島の様々な場所で、壮観な風景や豊かな伝統に魅了されました。 ケルトの風習と伝統文化を色濃く残し、多くの画家たちを惹きつけた、この辺境の地が持つ類まれなる魅力を主軸に捉え、カンペール美術館は長い時間をかけてコレクションを拡充してきました。なかでもブルターニュの絵画芸術の歩みにおいて最も興味深いのは、それが風景画の発展と深く結びついている点であるように思われます。画家たちが語る光と風の豊饒さを主眼に捉えた本展を通して、皆さまは真の風景画史の誕生に立ち会うことになります。ロマン主義の最後の栄光以降、自然主義、印象派、フォーヴィスム、そして言うまでもなくポン=タヴァン派を経て、数々の「断絶」と「展開」が表現様式を刷新してきました。浮世絵からの影響を筆頭に、様々な経験を経たこれらの芸術家たちは、近代芸術の誕生を促した自由への志向を体現しています。カンペール美術館のコレクションを概観することで、私たちはこの驚くべき冒険の一端を目の当たりにすることになるでしょう。 本店開催に係る皆さまのご協力に深く感謝し、ブルターニュ地方の絵画に向けられた新しい眼差しを日本の皆さまと共有できることを嬉しく思います。 ギョーム・アンブロワーズ カンペール美術館 館長
ブルターニュの光と風
画家たちを魅了したフランス〈辺境の地〉
SOMPOアートギャラリー
2023.2,3 FRI 4.10 MON
ご挨拶
フランス北西部ブルターニュのカンペール市中心に位置するカンペール美術館は、今から約150年前の1872年に開館した歴史ある美術館です。所蔵作品には、ルネサンスからロココ時代に至るオールドマスターによる絵画のほか、ポン=タヴァン派などとともに、ブルターニュ地方の自然や風俗などを描いたフランス随一の充実度を誇る作品群があります。 ブルターニュ地方は豊かな自然とケルトの伝統を色濃く残す独自の文化を持ち、19世紀後半から20世紀はじめにかけて、この地に魅了され、足を運んだ多くの画家たちが、その自然や歴史、風俗を描き出しました。 本展ではカンペール美術館の所蔵品を中心とする60余点の絵画を通して、恩恵とも脅威ともなるブルターニュの自然、海と大地に暮らす人々の生活、同地特有の宗教儀礼「パルドン祭」に象徴される人々の深い信仰心や精神世界を幅広くご覧いただきます。あわせてサロンで活躍したアカデミスムの画家やポン=タヴァン派、それ以降の画家たちによる多様な絵画表現の展開もご紹介いたします。 本展が、みなさまにとって新しい発見となり、また、絵画を通じたブルターニュを巡る旅としてお楽しみいただければ幸いです。 本展開催にあたり、貴重な作品をご出品くださいました所蔵美術館、関係各機関に深く感謝申し上げます。 主催者
いざ、SOMPO美術館へ!
【注意】美術館内での絵との記念写真は禁止されているようでした。(何人か注意されていました)
ブルターニュの風景
豊饒な海と大地
19世紀前半、小説や旅行記、民間伝承集などのロマン主義文学の中で「未知なる土地」や「異郷」として描き出されたブルターニュは、画家たちのエキゾチスムに満ちた関心を掻き立てる地であった。1830年代以降、ある種の異国情緒と郷愁に誘われて多くの画家が半島を旅するようになり、サロン(官展)ではブルターニュ主題が流行する。第1章では、サロンで活躍した画家たちの眼差しを通じて、ブルターニュの3つの風景ー海、大地、風俗を見てゆく。
画家たちが最初に求めた風景は、深緑の海を臨む岬の絶景や岸壁に打ちつける波といった、激しい嵐を描いたピトレスクな情景であった。ケルト文化圏の一部であったブルターニュには、キリスト教流入以前から伝わる伝説や民間伝承が多く残されるが、その舞台が海であることも多い。中世の伝説都市イスの国の水没を描いた《グラドロン王の逃亡》は、ブルターニュの沿岸都市が常に海の脅威と隣り合わせにあったことを雄弁に物語る。また自然の猛威は特に、《さらば!》が描くように、海に生きる人々に死を伴う悲劇をもたらすものになりえた。
一方の内陸部は、花崗岩が露出した荒野や森、耕作地など、様々な表情の風景が広がっている。鉄道網の発展を背景にブルターニュまでやってきた画家たちは、広大な大地に静かに佇む牛馬や人物を繰り返し描き、ブルターニュの荒涼とした大地というイメージを作り上げていった。
近代化が急速に進む19世紀のフランスにあって、ブルターニュは、素朴な生活や伝統的な風習、敬虔な信仰心が色濃く残る、ほとんど唯一の地域としても注目を集めた。ゴワやヴィラールの室内画は、この地の住まいや家具調度品をつぶさに伝えながら、農家の慎ましい暮らしぶりを描きだす。他方、婚礼や村の祭り、宗教行事など、人々の共同生活も画家たちの高い関心を集めた。とりわけ、伝統衣装はブルターニュの文化的アイデンティティを象徴し、キリスト教信仰と民衆的祝祭が結びついたパルドン祭は、この地に生きる人々の精神世界のありようを伝えている。
岩場に波が打ちつけられる大きな音が聞こえそう
神を怒らせたその娘を手放しなさい、とはげしい見ぶりの聖ゲノル
この作品は完成作品を描くためのスケッチ(=習作)なんだ。
嵐で転覆した漁船には「コンカルノー」の文字が見えるよ
この作品は、1892年のサロンで発表されるとフランス政府が買い上げるほど、高く評価されました。
本作を評した当時の『フィニステール』紙の批評文によれば、ここに描かれるような悲劇は、ブルターニュの海を舞台にこれまでも幾度も起きてきた出来事だという。嵐に遭遇し、沖で転覆した舟にしがみつく漁師の男は、激しく襲いかかる波と格闘しながら若き息子を抱きかかえている。父の逞しく日焼けした腕のなかで、今まさに息途絶えた息子の体は、青白く脱力している。父は息子に最後の別れの口づけをしようとするが、この若き漁師の華奢な体つきはその痛ましさを強調し、これが男女の悲劇の場面かと見紛う想像力を、観るものに喚起する。
牛飼いと牛たちの姿が見えるね
木々の間から変わった形の岩が剥き出しになった寂しい風景。でも、広い空から爽やかな光と空気が感じられるよ
民族衣装をもとって楽しそうに踊っているね
踊りの輪の中で、左端の二人が結婚式をあげた男女。楽しげで、躍動感いっぱいだ〜
こんなところで・・
緊張する〜う
ブルターニュに集う画家たち
印象派からナビ派へ
ブルターニュの土着的な習俗や自然は画家たちに格好の題材を提供し、19世紀以降、一躍ブームとなる。第2章では、サロンの外側で活躍した、印象派からナビ派へ至る画家たちのブルターニュにおける活動に着目する。サロンにおいて主流であったアカデミックな様式から離れて新たな様式を模索した彼らにとっても、ブルターニュという土地は豊かな着想源であった。 港町で育ち、海を愛したブータンは、空の広がりと雲の動きを大胆な筆致で巧みに表現し、印象派に先駆けた自然描写を行なった。ブータンから戸外制作の重要性を学んだクロード・モネは、自然光による風景の見え方とその表現を追求し、「印象派」誕生の由来となった技法を確立、鮮やかな自然の光を再現した。印象派の画家たちは、セーヌ川流域のノルマンディー地方の風景を好んだが、なかには、さらに西へと足を延ばし、手つかずの自然が残るブルターニュで制作する者も出てくる。 ポスト印象派のゴーギャンは、「原始的なもの」への憧れを、都会から離れた地に求め続けた画家である。ゴーギャンはフランス国内の異郷といえるブルターニュに足を向け、現地の素朴な魅力に惹きつけられた。1886年、ブルターニュの小村ポン=タヴァンに辿り着き、同地に滞在していたベルナールやセリュジェらとともに、後にポン=タヴァン派と呼ばれるグループを形成する。彼らは、印象派が不明瞭にしてしまった形態と構図を回復しようと、輪郭線で色彩を囲み平坦な色面で表す「クロワゾニスム」の技法を生み出した。 1888年、セリュジェは、ゴーギャンの指導のもと極めて抽象画に近い《護符(タリスマン)》(オルセー美術館)を描き、ドニやボナールらパリの画塾仲間に衝撃を与えた。ヘブライ語で「預言者」を意味する「ナビ」をグループ名とした彼らは、心象的なイメージを重んじ、色面と線で大胆に表すゴーギャンの手法をさらに発展させる。そして印象派に代わる新たな表現の世界を、それぞれの個性と情熱で豊かに作り上げていった。 このように、首都パリから遠く離れた辺境の地に集まった画家たちは次々と新たな表現を試みるが、とりわけゴーギャンやポン=タヴァン派の活動によって、ブルターニュは近代絵画史にその名を刻むことになるのである。
遠くの海を指しているのがゴーギャン
ゴーギャンは1891年、セリュジェたちにお別れの会を開いてもらってから、タヒチに旅立っているよ。この作品は、1903年にゴーギャンが亡くなった後に描かれたんだ。
新たな眼差し
多様な表現の探究
ポン=タヴァン派によって創始されたクロワゾニスムは、ブルターニュからパリに伝わった絵画技法であったが、パリの美術動向もブルターニュの画家たちに少なからぬ影響を与えた。第3章では芸術のパリとの関わりを中心に、印象派以降の表現の広がりを紹介する。 1880年代半ば、パリではジョルジュ・スーラ率いる新印象派が印象派の筆触分割を光学理論則して体系化し、点描法を開拓するが、その影響はポン=タヴァン派の中にも認められる。シェフネッケルは科学理論に拠らない自然な色味のタッチで抒情的な風景を表した。 1880年代にサロンが民営化されると、滑らかな絵肌とリアルな描写に重きをおくサロン絵画の伝統を脱し、新たな表現の可能性が模索されていく。フランス芸術家教会で活躍したマルタンは、ブルターニュの海の煌めきを点描風のタッチで描いた。対して主に国民美術協会展で黒を基調とする作品を発表したのが、「バンド・ノワール(黒い一団)」であった。コッテを中心とする一派はブルターニュに拠点を置き、クールベやオランダ絵画からの影響の元、暗澹たる風景を描き出した。 20世紀に入ると、自由度の高い独立芸術家協会展やサロン・ドートンヌなどを舞台に、より前衛的な風景が展開される。鮮烈な色彩でほとぼしる感情を表すフォーヴィスムが誕生した後、キュビスムがモティーフを幾何学的な形態に分解し再構成する空間表現を提唱した。こうした動向の余波はブルターニュにも及び、ルモルダンの軽快で明るい色調には、フォーヴィスムの巨匠ラウル・デュフィとの交流の跡が垣間見える。一方、ジャコブとブレはキュビスムを率いたパブロ・ピカソと親交を結んだが、その絵画様式からは距離を取り、写実性を留めた各々の画風を確立した。 このように、世紀末から20世紀初頭にかけて、新たな様式の登場により近代絵画史が目まぐるしく展開するなか、ブルターニュの自然と人々は画家たちに豊かな画題を提供し続けた。本展では、およそ1世紀にわたる様々な作品を見てきたが、ブルターニュを彩る自然と人々は、長きにわたって画家たちを魅了し続けたのである。
本日も最後までご愛読ありがとうございました。
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